世界平和のための
      ◆◇◆ 分身主義ホームページBHP)・
           
分身主義ブログBblog作成講座 ◆◇◆


「もう二度と悲劇は繰り返したくない!」

人類は何度も何度も、「もう二度とあのような悲劇は繰り返したくない」 と叫びながら、それでも何度も何度も何度も何度も、同じ過ちを繰り返してきました。
どうしてなんでしょうか?
それは本当の原因を知らなかったからなんです。

真の科学は、あなたの発言や行動は、あなたを取り巻く環境 (環境とはこの宇宙140億年に起こっている全てのことです) が、あなたの身体を介して行なっていることだと教えています。
つまり、僕たちはこの環境 (宇宙と言ってもいいです) の媒体だったんです。
僕たちはこの環境 (宇宙) の媒体であり、同時にまた、この環境 (宇宙) を作っている一部でもあります。

約100億年かけて、この環境(宇宙)は地球を作り、それから約45億年かけて人間を作りました。
動物の脳は、外界からの刺激と神経細胞とが反応し合うことで 「記憶」 と呼ばれる活動が生じますが、人間の脳の一番の特徴は、この記憶の能力が動物の中でも群を抜いているという点でしょう。
言葉の発明は記憶の定着を促進し、この群を抜く 「記憶」 は、人間に 「自我」 という錯覚を生みました。 今では誰の心(脳)の中にも、この 「自我」 がどっしりと居座っています。

まず初めに覚えておいていただきたいのは、「悪」 とは、人間の脳の中に居座ってしまった、この 「自我」 という錯覚が作り上げた観念に過ぎないと言うことです。

例えば動物の世界では、強い物が弱い物の食べ物を横取りしたり、他の動物を食べてしまったりしても、彼らに犯罪者というレッテルは貼りませんし、たとえ病気になっても自分を被害者として哀れんだり病気を憎んだりしません。
悪という観念は全くありません。
自我がないからです。

「悪」 とは、「自分に(あるいは自分に関係するものに)危害を与えるもの」 のことなので、はっきりした自分という意識があって初めて生まれてくる観念なのです。

人間の脳の中に居座ってしまった、この 「自我」 という錯覚は、個人主義的な環境を作ります。

個人主義的な社会の特徴は、自分に危害を与える人を悪者や加害者とみなし、自分を常に正しい側、被害者側、善良な市民の側の立場に置くことです。
常に自分が中心で、自分に害となるか益となるかによって、善悪の基準が決まります。

そして、自分に害を与える人間や病気や災害をこの社会から排除しさえすれば、問題は全て解決すると考えるのが特徴です。

人類は長い間、ずっとそのように考え、そしてそのことを実践してきたはずです。
それなのに一向に悲劇は収まらず、むしろ拍車をかけるかのように増大するばかりです。


ここで、冷静になって前後関係をよく考えてみてください。
自我が生まれたから、悪が生まれた。
これはいいですね。
そして、悪という観念が生まれたことによって、ますます自分を守ろうとする気持ちが強まる。
自分を守ろうとする気持ちが強まることで、ますます他者の存在が強く意識される。
強く意識された他者の存在は脅威となるので、ますます自分を強く守ろうとする。
守るべき自分がますます強く意識されることで、他者はより大きな脅威となって自分に襲ってくる。

この悪循環により、追い詰められたネズミは、妄想の作り上げた強大なネコに向かって、ついに武器を振り回すのです。
僕たちはみんな、この環境の被害者であり同時に加害者でもあったわけです。

このようにしてどこまでも増幅していくのが、自我を持ってしまった僕たち人類の脳が作り上げた、個人主義的な社会の特徴です。
今、この社会は、守るべき自己と脅威となった他者とが競り合うように膨らんで、まるで破裂寸前の風船のようです。

何度も同じ過ちを繰り返してしまった本当の原因は、人類が、この悪循環をもたらす個人主義的環境の中から逃れられなかったからです。
この悪循環から抜け出すには、まずは、我々の自我とは記憶が作り上げた錯覚に過ぎなかった、ということに気づくことです。
そして、我々の自我が作り上げた個人主義的環境にどっぷりと浸かっている自分の脳に気づき、その脳に動かされている自分、つまり環境に操られている自分の姿に気づくことです。
それは、この個人主義的環境を外側から眺める視点を持ったということです。
その時、あなたは今の環境の外へほんの少し飛び出したことを意味します。

次に、そのことに気づいた人から、「原因は私にありました」 と叫ぶことです。
「全ての原因は、私の自我という錯覚のせいでした」 と。
今まで、まだ誰もそんなことを言った人はいません。
どんな時でも、自分以外のものに責任の所在を探し回り、自分以外のものの責任を追及してばかりいたのです。

この環境を外側から眺める視点を持ったことで、この環境をほんの少し飛び出した人が増えれば、この環境が次第に変化していきます。
その理由は、僕たちは環境の媒体であると共に、環境を作っている一部だったからです。

では、自我が我々の神経系の作り上げていた錯覚であったと言うなら、本当の自分とは一体どんな姿をしているものなんでしょうか?
分身主義は、それを自分の 「全身」 と呼びます。
あるいは 「ビッグバン宇宙」 という名で呼びます。



「もう二度と悲劇は繰り返したくない!」
そのように願うあなたの気持ちに嘘はないのなら、「分身主義ホームページ」、「分身主義ブログ」 作りを始めましょう!

自我という錯覚を、今の狭い自分から広い自分に拡大させるためです。
真の科学の視点(つまり自分中心や人間中心の視点ではなく自然界中心の視点)で、本当の自分の姿を見つめようとすることによって、今までの自我は、やがて宇宙にまで拡大します。
BHP」、「Bblog」を作る作業が、それを少しずつ手助けしてくれます。

現実社会では、まだ武器や鎧(よろい)が必要ですし、貨幣経済の中で生きるためには、今の組織を離れたり、仕事や報酬を捨てることには無理がありますが、仮想現実(インターネット)の中では、本物の武器も鎧も地位もプライドも報酬も不要です。
仮想現実の中では、個人主義的な環境が作り上げてしまった、国籍や性別による差別や、上下関係などを意識しなくても生きられます。
極端な話、大統領でも巨万の富を得た大富豪でも、今の地位や報酬を捨てる勇気を必要とすることなく、ハンドルネームでホームページやブログを作り、「全ての原因は、私の自我という錯覚のせいでした」 、「私は環境の媒体に過ぎませんでした」 と告白することさえできるんです。

仮想現実の中では、誰もがこの個人主義的な環境を自由に離れて、分身主義的な環境に遊ぶことが可能です。
そのようなホームページやブログを作って、インターネットで世界中に流しましょう!

仮想現実は、いずれ僕たちが生きている現実社会をも、武器や鎧やプライドや報酬などが、全く必要のない環境に変化させることができます。
そのために、あなたのホームページブログが必要です。

ここまで言ってもまだ腰を上げない方は、口先だけで 「悲劇は繰り返したくない!」 とか、「世界を平和にしたい!」 などという体裁のいい言葉を放っているだけの偽善者です。
もちろんそれらの言葉も、個人主義的な環境に浸かっているその人の脳に浮かび上がってくる言葉を、その人がただ口にしているだけですが‥‥。
今は偽善者はいりません。
社会がどうなろうと関係ないという人も、懐疑的でこずるく立ち回る批評家も、自分の言葉に酔うだけで行動をしないナルシシスト評論家もいりません。
いずれ、その方たちも巻き込んで世界は平和になります。

だから、本気で 「悲劇は繰り返したくない!」 と願う僕たちから、早速、実行しましょう。
まだ分身主義がよくわからない人も、まだ自分の全身が見えていない人も、心配はいりません。
ホームページやブログ作りは、そんな自分の “心を育てる” ためにするんです。
(*心を育てる : 自分の本当の姿を科学的に (=自然界中心に) 見つめようとする努力により、僕たちの記憶が作っている 「自我」 という錯覚を拡大させること。それは、隣人と重なり、世界中の人と重なり、やがて宇宙と重なっていく‥‥「分身主義用語解説」より)

「BHP」、「Bblog」 を作るために、分身主義的視点を維持する努力をしたり、足を使って歩き回ったり、材料を集め、考えをまとめ、文章を練りに練って、書き込むことを繰り返したりしているうちに、自分の本当の姿がだんだんとはっきりと見えてきます。
「BHP」、「Bblog」 作りは、今のあなたの狭い自我が、隣人と重なり、世界中の人と重なり、やがて宇宙と重なるための 「実践」 なんです。
あなたというこの宇宙の分身が、自分の本当の姿(=全身)を見るための実践です。

遠回りのようですが、僕たち一人ひとりが 「BHP」、「Bblog」 を作る以外に、世界を平和にする方法はありません。
この環境を作っている僕たち一人ひとりが変化して、そのことで自ずと、新しい環境がやってくるのを待つしかありません。
これ以外に、僕たちが幸福に生き、幸福に死んでいく道はありません。
だから、これこそが最も近道なんです。
だから、躊躇(ちゅうちょ)していないで、今すぐに始めましょう。
僕たちの 「BHP」、「Bblog」 が世界中にネットワークを張り、世界中の人が一つにつながる日を夢見て‥‥。

世界中の人が自分の本当の姿を発見しない限り、僕たち分身は、自分の全身の姿を喜びを持って感じ合うことができません。
もう、この宇宙の万物が、つなぎ合う手を差し出しているのを、僕たちには見えていると言うのに、それまではその手に触れることさえもできないなんて、なんてまどろっこしいんでしょう。



それでは 『世界平和のための
BHP・Bblog作成講座』 です。

1、素材を選ぶ。
テーマはもちろん分身主義ですが、分身主義的なホームページやブログを作るという気持ちさえ忘れなければ、素材はなんでもかまいません。
例えば、分身であることを自覚したあなたの趣味のホームページや、分身主義的視点で眺めた日常の日記(ブログ)なんかはどうでしょうか?
分身主義的な旅行記や、分身主義的育児奮闘記なんてのも面白いと思います。
あるいは、自分の研究や、自分の作ったゲームを分身主義的にアレンジして発表するのも面白いです。

芸術の分野では、分身主義は大いにインスピレーションが触発されるはずです。
分身主義の詩や、分身主義の小説や、分身主義の絵画、彫刻、音楽などは、まだ未開拓なのでたくさんの可能性を秘めています。
それらの作品をホームページやブログで発表するのもいいと思います。
もっとも、分身主義自体を素材としてもいいわけです。

いくらでも独創性や独自性を持った内容が考えられます。
だけど、ホームページやブログを作ることで自分自身を見つめ、自分自身を宇宙へつなげていくという気持ちを常に忘れてはいけません。
自己顕示欲や他人を自分の考え方に引き入れるというような気持ちで作ったホームページやブログは、恐らく長続きしないでしょう。
あくまでも自分のためです。
ある意味、悟りに到達するための修行のような気持ちです。
そのような気持ちで、コンテンツを充実させていきましょう。


2、タイトルを付ける(分身主義を必ず入れる)。
素材が決まったら、今度は自分のホームページやブログのタイトルを考えます。
大切なのは、分身主義という言葉を必ず入れることです。

例1、りっちゃんのクッキー教室(副題:あまーい分身主義)
例2、裕也のデジカメ日記(副題:僕の周りの分身たち)
例3、分身主義的子育て奮闘記
例4、分身主義の視点で尋ねる全国の古寺


3、自分の自己紹介のコーナーを設けて、自分のことを 「○○分身」 と記述する。
意識を高めるためにも、そのように宣言することは必要です。
このホームページの僕の 「profile」 を参照してみてください。
ただ、間違っても、「私は分身主義者の○○です」 などと言ってはいけません。
あなたが分身主義者になる時は、世界中のみんなが分身主義者になった時以外にあり得ないからです。
何故なら、分身主義者とは自分の全身を知った人間だからです。
あなたの身体をこの宇宙だとします。
ところがあなたは今まで、脳が作り出す自我という錯覚によって、自分は右手の人差し指の爪だと信じていたとします。
この宇宙という身体の、右手の人差し指の爪だったあなたが、自分の全身に気づいて 「今まで信じていた自分は、宇宙の分身でした。 私の本当の姿、つまり私の全身は宇宙でした」 などと言っても、それはまだ理屈に過ぎず、体験が伴っていません。
世界中の分身が、自分の全身の姿に気づいた時、初めて僕たちは喜びを持って全身を感じることができます。
僕たちが真の分身主義者になった時というのは、その時以外にありません。
分身主義者というのは、この宇宙にたった一人だけなんです。


4、掲示板や日記やリンクなどで、日々自己精進。
ホームページやブログを公開したら、自分の役目はもう終わりという気持ちでは駄目です。
先程も言いましたが、BHPやBblog作りは他人に見てもらうというよりも、あくまでも自分の心を育てるためにするのだという気持ちを忘れてはいけません。
そうしないと他人の反応に一喜一憂して、挫折してしまうことにもなりかねません。
掲示板やリンクで同じ分身主義者を目指す人たちと励まし合ったり、日記(ブログ)で、分身主義者を目指す自分の一日を振り返ったりと、毎日毎日、自分のホームページやブログは手入れしなければいけません。
尚、BHPやBblogのリンクはいち早くさせていただきますので、ご連絡ください。

ちなみに僕のホームページでは、この三点(掲示板、日記、リンク)が今のところおろそかになっていますが、毎日、現在発行中のメールマガジンのことばかりを考えているので、そのことでかなり自分の心は育てられていることを実感しています。
しかも、メールマガジンで書き溜めたものを、ホームページ上で一つの本の形にして発表したりしているので、1999年にホームページを初めて開設して以来、今もホームページ作りは続けていられます。
継続さえしていれば、世界中の人に見ていただくチャンスは必ず訪れます。
たとえ初めの10年は2、3人しか見てくれなくとも、少しも心配することはありません。
分身主義ホームページや分身主義ブログを作るということは、素材は個人的な趣味のようなものであっても、対象は、全世界の人の目であり、期間は永遠だということを忘れないでください。
10年や2、3人でへこたれている場合ではないんです。

目下の課題は、自分が死んだ後も自分のホームページを流し続ける方法を確立することです。
50年、100年先まで、今のプロバイダーに引き落とししてもらうだけのお金を、銀行に預けておけば理論的には可能ですが、その時まで、今のプロバイダーと銀行があるかわかりませんし、物価がどのように変動するかもわかりません。
できれば、みなさんが作る分身主義ホームページの全てを、作者本人が亡くなっても残しておけるような総元締めをするシステムが構築できればいいなと考えていますが、残念ながらそれは僕に不向きの仕事のようです。

分身主義は真の科学の視点なので、「精神は滅んでも肉体は不滅である」 と考えますが、このようにして 「精神」 も受け継がれていけばいいですね。


5、アフィリエイトなどの広告は貼らない。
アフィリエイトとは “提携” の意味で、広告主と提携し、自分の運営するホームページやブログなどに広告を貼ることで、広告主へ見込み顧客を誘導し、その成果に応じた報酬をもらうシステムです。

分身主義の夢見ている世界は 「貨幣に頼ることのない世界」 なので、報酬をあてにしたホームページなどを作ってはいけません。(分身主義用語解説 「お金に頼る社会」 参照)
今までは 「自分、自分、自分‥‥」 という個人主義的な感覚から、無意識に行ってしまっていた行為は、インターネットという仮想現実の中だけでも慎まなければいけません。

ホームページやブログ上で発表するあなたの作品に、あなた個人の利益のために課金するような行為も慎まなければいけません。
分身主義は著作権は決して放棄しませんが、著作物に関わる印税等の利益は放棄します。
作品は一人の成果ではなく、万人の総力によって作られるものだと知っているからです。
また、あらゆる情報は僕たち分身みんなの共有財産なので、無償で分け合うべきだ、というのが分身主義の考え方です。

著作権を放棄しないという意味は、代表者としての名前を、我らが分身の永遠の誇りとして残しておきたいからです。
偉大な芸術家として祭り上げられたピカソも、我々の代表者(=媒体)です。
だから、分身主義は、「ピカソの作品」 のことを 「ピカソ分身さんたちの作品」 と言ったりします。
実際の作者は、彼を取り巻く環境(状況や遺伝子やモノや人‥‥たち)であり、彼は媒体となって描かされただけだからです。

ピカソはあくまでも媒体ですが、彼に対して、我らが分身の代表として、あるいは自分自身の分身として、永遠の 「誇り」 に思う分身主義こそ、本当の意味で個人を尊重するものです。
個人主義を標榜する人たちは、「真の個人主義とは自分勝手とは違い、個人を尊重するという理念に基づいている」 などとうまいことを言いますが、実は、自分が尊重されればそれでよく、「他人は自分に迷惑をかけさえしなければどうぞご自由に‥‥」 と見放しているわけで、その無関心さを 「個人の尊重」 と履き違えているだけです。




最後に、ホームページやブログを作るための一番大事な点を書いておきます。

「このホームページ(あるいはブログ)を作ったのは自分の脳を取り囲む環境で、自分は媒体に過ぎない」 という気持ちを常に忘れないことです。
例えば自分の趣味を素材に選んだ人は、自分の趣味は、自分の脳を取り巻く環境に作られているものだということを説明し、場合によっては、そのような趣味を持つに至る経緯を書いてもいいと思います。
物事には必ず原因があるわけで、それを書くことで、自分は媒体であったことを自分にも言い聞かせることができるからです。

また、育児を素材に選んだ人は、「自分の子供は、自分を取り巻く環境が産んだもので、自分は単なる媒体に過ぎない」 という気持ちを忘れずに、子供は世界中の人の子供であることを強く意識することも大事です。
現在の個人主義的な環境にどっぷりと浸かってしまっている僕たちの脳には、当然、そのような視点は非常識に見えます。
だけど本当は、自然界から見れば個人主義的な感覚こそかなり非常識なんですが、常識とは大多数のことなので、少数派は病院に入れられてしまいかねません。
でも、そんな心配はせずに、ホームページ(あるいはブログ)では自由に分身主義的な視点で泳ぎ回れるという利点があります。

研究をホームページ(あるいはブログ)の素材に選んだ人は、何かを研究したいという欲求が人より強い遺伝子を持っていたのでしょうけれど、その遺伝子すらも自分の脳を取り巻く環境の一部である、ということをはっきりと意識しなくてはいけません。(遺伝も環境の一部です)

「自分は環境の媒体である」、というのは、責任逃れなんかとは全然違うんです。
個人主義的な感覚に浸かっている脳は、「このホームページ(あるいはブログ)を作ったのは自分の脳を取り囲む環境で、自分は媒体に過ぎません」 などと聞くと、「自分の未熟なホームページ(あるいはブログ)を環境のせいにしている」 と反応してしまう傾向にあります。

そんな人にははっきりと言いましょう。
「責任逃れではありません!」 と。

責任逃れとは、本人が自分のやったことを失敗だと思っている場合です。
だからあなたははっきりと明言するべきです。
「私は自分のやっていることは失敗だと思っていません。私は、このようなことをやらされる媒体である自分に喜びを感じていますし、このようなことをやらせてくださっている環境やみなさんに感謝しているんです」 と。
「私は、あなた方やこの環境の媒体であることに誇りを持ちます」 と。


それでは、世界平和に向けて、「BHP」、「Bblog」 の作成に取り掛かってみてください。
開拓者としての困難は伴うでしょうが、メールを下されば、何でもご相談に乗ります。