徳永分身とその周りの分身さんたちをご紹介します
名前 * 徳永真亜基
生まれ *1957年
分身年齢 * 約140億歳
出身 * ビッグバン宇宙銀河系地球村東京
家族 * 妻一人、子供なし
他の家族 * いぬ、カエル(後で紹介します)
職業 * 詩人(って一度言ってみたかった)
好きな色 * 緑、紫、他いっぱい
好きな花 * ラベンダー、ムスカリ(緑と紫が絶妙)、他いっぱい
好きな歌手と俳優 * いっぱいいすぎ
好きな動物 * ラッコ、アマガエル、フナ(どれも可愛いすぎ)、他いっぱい
好きな音楽 * いっぱいいっぱいありすぎ
趣味 * インラインスケート、スキー、アイススケート、ギター
嫌いな食べもの * 無し(青汁、ゲテ物も全然オーケー)
考えてみたら、徳永分身は根っから嫌いなものがないんです。子供の頃から差別や不平等も大ッ嫌いで(←ああ、嫌いなものがありました)、将来、完全無欠の分身主義者を目指す素地がすでにあったのかもしれません。
僕たちみんなの誇りである、養老孟司分身さんは、「人間は機械を作るけれども、機械とは、実は人間の一部である」 と言っています。機械を道具と言い換えてもいいと思います。
「道具は人間の体の一部である」
この7徳セパレートナイフは、徳永分身が旅行へ行く時に必ず持っていくものです。下は、妻に作ってもらったケースで、写真では見にくいですが、可愛いネコちゃんの柄です。
アラスカに行った時にはとても役に立ってくれた僕の体の一部です。その意味でも、僕の分身です。でも、僕は、この道具の分身でもあるわけです。
分身主義者を目指す人間なら、そのことを忘れてはいけません!!
徳永分身もナイフも、自然界に転がっているブロック (原子) が、自然界の法則の中でああだこうだと組み替えられているうちにできたものなんです。
10年ほど愛用している分身、紫色のシャープペンシルくんです。
それまで愛用していたのは拾った黒いシャープペンシルで、ちょっと高価な感じで、不思議と僕の指に馴染み、きっと徳永分身に巡り会うために紛失されてきた分身くんなんだなと勘違いするほどでした。
それを、ある日なくしてしまい、「どうしよう、あれがなければ傑作が生まれないよ〜」とうろたえ、三日三晩探し回り、泣いて泣いて泣き疲れて眠るまで泣いた末に、買い求めた紫色の分身くんです。
こちらは徳永分身が買ったものなので高価ではありませんが、とてもよく馴染んでいます。今では、これがなければ傑作は生まれない‥‥って、あっても生まれないけど。
君が僕の側からいなくなったら、また誰か違う分身さんが愛用してくれることでしょう。
この分身くんは、僕の脳が作り出す言葉という 「幻想」 と、文字という 「実体」 とを結ぶ掛け橋となってくれる大切なものです。
その意味で、こちらも徳永分身の体の一部であり分身であることは確かです。
人間もシャープペンシルも、宇宙がリサイクルを繰り返している過程の中から生まれてきた物質であり、その意味では素粒子のたまたま見せている現象とも言えます。そう、人間とは現象なんです!
きつけのサウナで知り合った分身さんから、一年程前いただいた「いぬ」。
その分身さんは、頭をつるつるに剃り、いつもスーツを着て(ネクタイは無し)、ちょっと恐い顔をしたおっちゃんです。職業は恐いので聞いたことありません。
ある日、駐車場でばったり会い、立ち話をして別れる時に、「あんた奥さんいんのか?」と聞くので、「はあ、一人いますが」と答えると、セルシオのトランクを開けて「こんなの持ってかないか?」と、アヒルだのイルカだのいろいろなぬいぐるみを手品師のように取り出しました。僕はピピッときた、この分身くんをいただきました。
妻は、手触りや形が可愛くてしょうがないと言い、抱いていると癒されるそうです。
ちっちゃい手の平サイズのカエル。たぶんカエルだと思う。
←写真の上にマウスポインターを重ねると拡大します。
数年前、海外へ行ってきた分身さん(友達)のお土産。
いぬの背中に乗っているのが好き。 こんな感じ→
カエルもいぬも名前がないので、
「ちょっと、そこのカエルどけて!」
というように使われます。
初めて買ったカメラ付携帯で、試しに撮った影の写真。ちなみに、このページのものは全部それで撮影しました。
左側の、空を押し上げようと無理している人間が、僕の二番目に親しい分身。わかりやすく言えば妻です。
この写真を撮った右側の人間は、僕の一番親しい分身。わかりやすく言えば僕、徳永分身です。(←もちろん僕も僕の分身なんですよ。では、本当の僕は‥‥というと、それは、この宇宙です。一つ一つの分身は、宇宙の分身であり、互いの分身であり、同時にまた宇宙自身でもあります。)
週一回の散歩がてらのバードウォッチングが楽しみ。
金がかからないでいい。
ちなみに、双眼鏡は、どこでもらったか忘れてしまったオモチャのようなしろもの。
この分身(双眼鏡)は、なくなっても悲しくない。そしたらやっとちゃんとした高倍率のやつを買ってもらえる‥‥かもしれない。でも、やっぱりちょっと悲しいな。分身だもの。
ところで影は実体でしょうか?
ちろんです。光の下では僕たちは影なしで存在することは不可能です。ポケットに入れて持ち帰ることはできない実体ですが、間違いなく僕たちの一部です。
洞窟が存在するためには、それを照らす灯りと、何もない空間が必要なのと同じです。何もない空間だって、洞窟の一部なのです。
影は、この宇宙という劇場の中で、素粒子たちの見せる、時にコミカルで時に哀愁ある心憎い実体です。
ここからは、バードウォッチング中に出会った分身さんたちです。
可愛い分身ちゃんがこちらを見ていました。
この後、彼(彼女?)は近寄っても逃げもせず、ある行動を行ないます。
行動とは、僕たちの脳の中に記憶されているものと、脳を取り囲む環境からの刺激(=情報)とが相互作用をした結果のことです。
彼(彼女?)の脳が、僕という刺激(視覚情報)に対して、逃げるという反応をしなかった理由は‥‥? 画像にマウスポインターを重ねてください。
徳永分身の手のひらです。
その上の黒い点は黒子(ほくろ)ではなく、ダンゴムシ君です。
僕は、汚いと思っていたダンゴムシ君が、記憶の上書きで大好きになり、今ではほら、手の上に乗せることもできます。
ところが、見ていると手のひらに0.2ミリくらいの白いものが2〜3個落ちているので、「なんじゃこりゃあ?」と思ってよく見ると、動いているのです。
なんと、ダンゴムシ君の赤ちゃんでした。
見にくいですが、赤い丸で囲んだ部分にいるのが、可愛い分身君の、そのまた分身君です。この後、何十匹と出てくる出てくる。
僕は急いで土に帰してあげました。
彼らも徳永分身も、同じように細胞でできていて、その中にはDNAというものがあって、その遺伝情報に用いられている言語と暗号は、彼らも徳永分身も全く共通などということを解明した現代科学はすごいです。こういった現代科学が解明したものを整理して分身主義は生まれました。
分身主義は科学の視点に違いありませんが、科学が発見したものは単なる事実に過ぎません。
せっかく科学が見つけたものを価値にまで高めるために、分身主義が出番となります。
岩の隙間にもしっかりと根を張り、誇らしげに咲いているきれいな分身さんたちを見つけました。
彼らも、僕たちと全く共通の言語と暗号を用いたDNAに基づいて作られています。
立ち止まって小さいものに目を向けると、心が豊かに、そして優しくなるような気がするのは何故でしょうか?
徳永分身は弱いもの、小さいものが大好きです。
人間は、本来弱くて小さいものです。
それなのにどうして、強くて大きくなりたがる(権力を持ちたがる)のでしょうか? 自分が強くて大きいと錯覚して、威張りたがるのでしょうか?
その答えは簡単です。その人の環境です。
その人の脳を取り巻く環境が、その人の脳を権力を持ちたがる脳にしているのです。
その人の脳を取り巻く環境が、分身主義的な環境になれば、自然に人間は変わっていきます。
権力よりももっと強くて大きな、「豊かで優しい心」 を持つことができるようになります。
ところで、バードウォッチングなのに、肝腎のバードの写真がないって!?
もちろん撮りましたが、携帯のカメラではみなさんにお見せできるしろものではありません。
次の分身くんは、スケート (インライン・スケート) 靴です。
ある日、無心で滑っている徳永分身のすぐ後ろに、ピッタリと張り付いて走る自転車の気配がしました。
しばらくして僕を追い越したと思ったら、自転車から振り返った人は、自転車用のヘルメットをかぶり、自転車用のスーツでバッチリ決めた70歳くらいのおじいさんでした。
彼は 「30キロ!」 と叫ぶと、親指を立ててにっこり笑いながら走り去りました。
ウォー、カッコイー!
徳永分身のスピードを測ってくれたんでしょう。だいぶ、おまけもしてくれたようです。
僕も、もし自然界様がそこまで生きさせてくださるのであれば、いつまでもスポーツで汗をかけるあんなに洒落たおじいさんになりたいです。でも、分身主義者を目指す僕は、たとえ癌になってすぐに死のうとも喜んでそれを受け入れますが‥‥。
スポーツは徳永分身の中に温存する動物の本能を昇華させるために必要なものです。僕が理性という障害を抱えてしまった、人間という悲しい動物であり続けるために。
すてきな分身さんに出会えて、幸せな一日でした。
にご紹介する分身くんは帽子です。
主役は“いぬ”ではありません。
徳永分身は帽子が大好きですが、とても気に入っている帽子をなくしてしまった時‥‥本当に悲しいです。
完全に僕の体の一部になっているからかもしれません。
でも、もしこの帽子が燃えてなくなっても、僕が燃えてなくなっても、それを構成していた原子は決してなくなるわけではありません。他の物に変化するだけです。これを質量保存の法則 (物質不滅の法則) といいます。
それに、帽子がどこへ消えようと、僕たちは永遠につながっているんです。
それともう一つ。分身主義では帽子も僕も同価です。帽子も僕も素粒子の一時的に見せる仮の姿‥‥現象です。
この帽子の後部の出っ張った形が気に入っているのですが、妻にはそこが格好悪いと言われます。まあ、親しい分身の言うことですから許してあげましょう。
徳永分身はいつの頃からか、装身具の類を身につけられなくなりました。ブレスレットやペンダントなどの装身具は、僕の体と宇宙とを区切る境界線をはっきりさせてくれて、それを身につけることで、自分であり続ける安心感をもたらしてくれました。
その意味で、装身具は自己アピールと言うよりも、自分を守るためのものだと思っています。他の人と違う確実な自分というものを常に見失わないためのものです。確実な自分がどこかへ行ってしまわないために、装身具で身を守るわけです。
分身主義を知るための第一ステップは、現代科学が解明しているものを整理して、自分や宇宙の成り立ちを知ることです。
そのために、自己の内部に深く深く降りていきますが、その出口は宇宙に開かれていました。
これが、分身主義で言う、自我の拡大というものです。心が育つとも言います。
天体が内部で核融合を繰り返し、やがて自らの重力と圧力のバランスが崩れ、爆発して宇宙空間に拡散するような感じです。
それ以来何かを身につけると、むしろ、古い自分という幻影に縛られているような息苦しさを感じたり、肩が凝ったりするようになりました。
唯一、大好きな帽子だけは身につけられますが、それだって、めったには無理です。
どんな時にかぶるのか? ですって!?
嫌な目にあったり、疲れてたりして、心を閉ざしたくなった時です。
そんな時の徳永分身は、周囲がまるで敵であるかのように、睨みつけたような目で歩いていることがあります。
でも、本当の分身主義とは、どんなに自分に閉じこもっても、自分の周りに敵を作りません。
しっかりと一つのところでつながれていることを知っているのが分身主義だからです。
早く、本当の分身主義者になりたいと、いつも願っています。
でも、僕やあなたが完全な分身主義者になるには、世界中のみんなが分身主義者になるしかないんです。
世界中のみんなが分身主義者になった時初めて、この世界にたった一人の分身主義者が生まれます。真の分身主義者とは、この宇宙にたった一人しかいないからです。