世界を平和にする 「自己愛的生活」
NO.13 「実体」と「幻想(=錯覚)」
2003.05.06

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みなさん、こんにちは。徳永真亜基です。
ゴールデンウィークはいかが過ごされましたか?
自分たちのデートや家族旅行のことで頭の中は一杯で、世界平和どころではな
かったですか?
あなたの幸せを、みんなに分けてあげましょう!
みんなの幸せをもらって、あなたはもっと幸せになりましょう!

だって、僕たちは一つだったんですもの。d(^_−)−☆ネッ!
では、また来週。

‥‥って、終わってる場合ではありません。始まったばかりでした。




世界を平和にする「自己愛的生活」を始めるにあたって(そう、これもまだ始
まったばかりです)、まず初めにしっかりと押えておきたいことがあります。
「実体」と「幻想(=錯覚)」です。

この二つの違いをしっかりと見極める目を持っていないと、自己愛も世界平和
もおぼつきません。

「人類の育てた果実」は、もう食べ終わりましたか?
今日は、まだの人にもわかるように書くつもりですが、わかりづらかったらご
指摘くださいね。質問、反論、何でも受け付けますよ。(^-^)/

ちょっとややこしいかもしれませんから、先にコーヒーでも用意して、ゆった
りとした気持ちを作ってから読み始めてください。間違ってもアルコールを用
意しないでください。ますます混乱します。



まず、僕は、人間が意識しなくても存在する物を「実体」と呼びます。
例えば、この地球は、意識しようがしまいが、僕が死のうがどう生きようが、
間違いなく存在しているので「実体」です。
例えば、電信柱は意識しなくても存在しているので、ぶつかれば怪我をします。
むしろ、意識しないからぶつかっちゃうんですけど‥‥。

これと反対に、世の中には、意識が存在を決めるものがあります。
これを僕は幻想と呼んだり錯覚と呼んだりします。
どっちかに統一したいのですが、受け取られる時のニュアンスが微妙に違うの
で、その時その時に応じて使い分けています。
だけど僕としては、脳の作用によって作り出されるもの、という意味で、幻想
とか錯覚と言っているだけで、どちらもまったく同じ意味です。


・実体‥‥人間が意識しなくても存在する全ての物質。
・幻想‥‥人間の脳の作用によって作り出される全ての現象。錯覚と言い換え
       てもいい。


この宇宙のあらゆるものが、この二つに分類できます。

例えば、テレビで名ピアニストの名演奏を聴いたとします。
興味がなければただの雑音だし、決して名演奏にぶち当たっても怪我をするこ
とはありません。

音をつむぎ出す前のピアノは、人間が意識しなくてもそこに存在している物体
なので、真っ直ぐ歩こうとする人の障害物の役目を果たしますから、「実体」
です。
ピアノから聞こえる「音」は、目には見えませんが空気という物質の振動なの
で「実体」です。
スピーカーも大音量で振動させれば、その上に置いた花瓶を落として割ること
だって可能です。
ただ、その音が名演奏か雑音かというのは、人間の脳の作用が作り出す現象の
一つでもある評価というものですから、幻想(=錯覚)だということです。

確かに、名演奏はぶつかっても怪我はしないけれども、実体を変化させる力が
ないわけでもありません。
例えば、ある人は、テレビで名ピアニストの名演奏を聴いて、レコードを買い
に走ったり演奏会に足を運んだりします。
これは、名演奏という幻想が、人間という実体に作用しその行動を変化させた
例です。

文字と言葉の関係も同じです。
例えば、あなたが大切な人から心温まる手紙をもらったとします。
その紙にあるものは、インクで書かれた単なる文字(記号)ですから、その文
字を知らない外国人には理解できませんし、ヤギなら食べてしまいますが、あ
なたはそれを読んで嬉しくて涙を流すことがあります。
そして、ぽたりと落ちた涙が、文字という「実体」をにじませることもありま
す。
文字はインクの作る「実体」ですが、その中に表現されているもの(言葉)が
「幻想」になるわけです。


ただし、ここでちょっと注意が必要です。
今、「電信柱」や「ピアノ」や「空気」や「文字」などは「実体」であると言
いましたが、人間がそれに目を向けて、「電信柱」や「ピアノ」や「空気」や
「文字」と意識(あるいは認識)したとたんに、それらは「実体」の世界から
「幻想」の世界に引き寄せられてしまいます。

人間が何かを認識したとたん、それはもう「そのモノ」ではなくその人の記憶
などに歪められたモノでしかありません。
人間は、モノそのものをありのままに認識することは決してできないんです。
僕たちが目を向けた全てのものは、その瞬間、幻想(=錯覚)の世界のものに
変質します。
まるで、見るもの全てを石に変えてしまうメデューサ(ギリシャ神話に登場す
る魔物)のように‥‥。

では動物は「モノそのもの」をありのままに認識できているのか、と言うとそ
うではなくて、言葉を持たない彼らには「自我」という錯覚(=幻想)もなく、
したがって彼らは宇宙と地続きなんです。
認識などということとは無縁な存在なんです。

同じように人間の行動は「幻想」の世界に属しますが、動物の行動は「実体」
の世界に属します。
人間の行動とは、言葉に意味づけされたもので、例えば動物はサッカーなどし
ませんが、人間の行動であるサッカーのシュートなどは、「得点を入れる」な
どという言葉に意味づけされた行動です。
それで「人間の行動」は、幻想の世界に属するわけです。
言葉に意味づけされず周囲の環境に反応しているだけの動物の行動は、「実体」
の世界のものでです。

他の動物に追いかけられて逃げる動物の様子がテレビなどで見られますが、あ
の行動は、彼らにとって敵だから逃げているのではなくて、そのような行動を
取る遺伝子が生き延びる確率が高かったので、そのような反応をする動物が繁
栄しているだけのことなのです。
それを見て、人間が勝手に、「敵から逃げている」と意味づけしてしまってい
るだけです。

動物の行動は「実体」の世界に属し、人間の行動は「幻想」の世界に属す、と
いうのはご理解いただけましたか?

何かを認識しようと一生懸命になる人間ですが、そのせいでこの宇宙のあらゆ
るものから切り離されてしまったのが人間なんです。
皮肉なことに、モノを知ろうとした人間が、最もモノと遠い存在になってしま
ったということです。



話を元に戻します。

要するに、幻想や錯覚とは「実際にはありもしないこと」ではなくて、「実際
に存在し、実体を変化させる力を持つもの」という認識をすることが大事です。
人間の意識が、ひとたびその存在を認めたら、もはや実体すらも変化させる力
を持っています。

「そんなもの錯覚だよ。気にすんなよ」なんて侮(あなど)れないということです。

あなたの「片思い」の人が向こうから歩いてくるとします。
彼(彼女)は、こちらの存在にもほとんど気づかずどんどん近づいてきます。
その瞬間、あなたの顔は紅潮し、目はうろたえ、心臓がバクバクし、歩き方が
不自然になります。
彼(彼女)に対する「思い」は、あなたが意識の中にその存在を認めない限り
はどこにも存在していなかったものです。
「思い」という幻想は、あなたの意識が生み出したものです。
幻想である「思い」が実体である顔や目や心臓や動作に、変化を与えるわけで
す。

もし、その時、彼(彼女)がこちらの存在に気づき、にっこり笑って手でも振
るとします。
突然あなたの周囲の風景は、バラ色に変わります。
幻想や錯覚は、このような離れ業もします。
僕たちはみんな、ユリ・ゲラーよりも有益な超能力を持っていたのです。



もう少しいくつか例を挙げてみます。
風は目には見えませんが、空気という物質の移動なので、「実体」です。
耳がちぎれそうな風とか、気持ちよい風と意識された風は「幻想」です。

あなたのお父さんがアルツハイマーになってもあなたは存在しますが、お父さ
んには息子(娘)という概念はもはや存在しないので、悲しいことにあなたは
「こんにちは、ところで、どちらさんでしたっけ?」と聞かれてしまいます。
目の前の人間は実体ですが、息子(娘)という概念は幻想だからです。

時が流れ、あなたのお父さんが亡くなり、今度はあなたがアルツハイマーにな
って、あなたの思い出が薄れたとします。
それでも、お父さんの形見の時計は存在するので、引出しを開ければそこにあ
ります。
ただ、形見としての時計は、もはや存在していません‥‥。
つまり、時計は実体で、形見という概念は幻想です。
概念や言葉は、「人間の脳の作用によって作り出される現象」です。
そう、文字は実体ですが、言葉は幻想でしたね。




ところで、

・実体‥‥人間が意識しなくても存在する全ての物質。
・幻想‥‥人間の脳の作用によって作り出される全ての現象。

と書きましたが、次のような考え方もできます。

・実体‥‥物質という容器によって変化する。
・幻想‥‥記憶という容器によって変化する。

どちらも、その容器の枠の形によって変化するのは同じですが、幻想が入れら
れる容器は、「記憶」という容器です。




科学が作り出したテレビは、戦争の映像を僕たちに見せました。
道具としてのテレビや、光の作り出す映像は実体ですが、僕たちはその映像を、
自分の過去の記憶という容器に入れて見ています。
記憶は人それぞれ違います。
つまり、みんながみんな、歪められた幻想(錯覚)で、その映像を捉えている
ということです。

また、カメラという実体を操作するのは、カメラマンの幻想(錯覚)です。
幻想(錯覚)である以上、その操作は、すでに彼の記憶の容器で歪められてい
るものです。

これらの歪められた幻想(錯覚)でも、実体を変化させる力を十分に持ってい
るということは、注意する必要があります。


そこで、もう一つ大事なことを書いておきます。
科学は実体を扱います。
だから、自然界の法則を利用して、自然界の中で実際に機能する「物」を作り
出すことが得意です。
でも、科学を扱うのは、(人間の)幻想です。錯覚です。
このことを忘れてはいけませんよ。



さあ、実体と幻想を見極める目がどうして必要か、少しずつわかっていただけ
ましたか?
えっ? 何にもわからないって?

‥‥。

コーヒー、もう一杯いかがでしょうか?(-_-;


ちなみに、今日書いたことは、「人類の育てた果実」の中の「世23・世界を平
和にする愛」が参考になると思います。









◆◇◆編集後記


僕の自分探しは、現代科学が解明しているもの、仮説ではなく実証されたもの
だけを根拠にしてやっていきたいと思っています。
決して、非科学的な霊感や、根拠のない宗教的言説や、オカルト的なものに惑
わされたくありません。
科学は実体を扱うもので、人間の幻想を差し挟まないし、もし間違えても常に
自然がその誤りを正してくれます。
霊感や、宗教や、オカルトは、間違った方向に進んでも修正してくれる人が誰
も存在しません。
そのカリスマ的存在の人の言葉が全てになって、どこまでも間違いを突き進む
という性格を持っています。

僕は、そのように考えて、科学に全幅の信頼を置いてきたわけです。
でも、どうやら、それは誤解のようでした。

科学は確かに実体を扱います。
でも、その科学を扱うのは人間の「幻想」だったんです。
ほとんどの科学者が、未だにこのことに気づいていないようです。
科学は実体だけを扱い、人間の感情などという幻想は差し挟まない、というプ
ライドを持っているようです。

そして今、とても危険なことが医学や精神病理学という学問の間でも行なわれ
ています。
病気と診断される人たちは、本当に病気なんでしょうか?
障害者と診断される人たちは、本当に障害者なんでしょうか?
その基準は、常に、ある人間たちの「幻想」に委ねられています。
その幻想を扱う、ある人間たちの「記憶」に委ねられています。

例えば、今、僕たちが口にする「人格障害」という病理は、アメリカ精神医学
会の診断基準DSMによって体系づけられているもののことです。
「人格障害」という言葉ができたのはここ数十年のことで、元々は、アメリカ
で犯罪者の行動を理解しようとするところから発展し考えられてきたものです。
実は、その背後には、人格障害というものに対する憎しみや差別があります。
憎しみや差別という幻想によって作られている科学を、あなたは信じさせられ
ているんですよ!

そして、そのことによって、僕たちの実体であるこの「身体」にまで変化が起
こり始めています。社会に変化が起こり始めています。


僕は今、はっきりと断言できます。
その「記憶」と、その「幻想」が作り出す科学では、僕たちの心を救うことは
できないと。
世界を平和にすることはできないと。

だからこそ、今、実体と幻想を見極める目がどうしても必要なんです。
人間を(あるいは、ある人間たちを)中心とした科学ではなく、自然界を師と
し、常に自然界に軌道修正させられながら進む、本当の科学をするためにも。






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